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 東に美ヶ原、西には日本アルプスを望む松本盆地は寒暖の差が大きく、日本でも有数の乾燥した気候で、古くから木工産業が盛んでした。高度経済成長期には工業団地が整備され、様々な企業が集まってきました。当時、松本市内には家具製造などの木工関連会社がいくつもあり、それらはミシンのキャビネット、大手メーカーのテレビやスピーカーのキャビネット、オルガン、家具、建具、額縁など様々な製品を製造していました。


 楽器製造では1950年代にはすでに県内でバイオリン、クラシックギター製造が始まっていましたが、1960年、松本市にバイオリンの製造を目指して創業したメーカーが市場の動向を調査し、クラシックギター製造に転向。それが松本市を中心とした信州のギター製造の始まりでした。

 現在ではメジャーな存在になったエレキギターですが、その歴史は意外と浅く、現在の形になったのは1950年前後のことです。そして、その当時の音楽シーンに合わせるようにギターも進化していきます。


 1920年代のカントリー&ウエスタン、リズム&ブルースが発展する過程で、ギターも管楽器に埋もれない大音量を出す必要が出てきました。ギブソンからは1935年にエレキギターのES150が登場し、1948年にフェンダーからソリッドギターのブロードキャスター(テレキャスター)が、1952年にレスポール・ギターが登場しました。1954年からのストラトキャスターを含め、それらが現在でもエレキギターのスタンダードとして君臨しています。


 そして1950年代半ばに生まれたロックンロールの登場により、新たな使い方を見出されたエレキギターは、1960年代のサーフミュージックのブームにより大きく花開くことになります。

 一方、日本において1960年代初めはまだエレキギターを弾くという文化は無いに等しく、国内の先行メーカー2社によりエレキの海外輸出はされてる程度でした。しかし1962年、松本のメーカーがアメリカ向けのギター製造をスタート、そこからますますエレキギターの生産が松本の重要な産業の一つとなっていきました。高度経済成長期に工業団地も整備され、機械金属工業も盛んになったことで、木工以外の需要にも対応できる土台ができ、部品の製造・調達から塗装に至るまでの完成品を地元で行うことが可能になったのです。

 とはいえ、国内で始まったばかりの頃のエレキギター生産は、アメリカ人バイヤーの指導はあったもののギターの専門家がいるわけでもなく、職人達が時には分解、研究し、試行錯誤しながら作られました。当時の材料は主にラワンが主流で、乾燥不足によりねじれや割れが多発していたようです。
 しかしながら、先駆者たちの努力による品質の向上、海外バイヤーとの直接貿易で、海外におけるエレキブームの軌道に乗り日に日に生産数がアップし、都会ではなく松本で海外メーカーから外貨を直接稼げる稀有な存在となりました。
 1970年代に入り、多くの海外ミュージシャンが来日するようになり、それら有名ミュージシャンが使用しているエレキギターが注目されるようになると、日本の音楽誌でもギター広告が大々的に行われるようになり、国内にもようやくエレキブームが到来して、その需要が高りました。

 信州産のギターはその品質の高さから、ギブソン社系列のエピフォン全モデルを生産した他、海外ブランド数十社のOEM生産を請け負うまでになり、国内外の有名ブランドを松本の企業で牽引していきました。その他のメーカー各社も松本及び近郊で多くのブランドを製造していきました。そして1982年にはフェンダージャパンが設立され、ついに長野県が「ギター生産量世界一」となりました。
 
 流行や景気など、様々な試練で廃業したメーカーもあり、全国のメーカーが常に順風満帆だったわけではありません。しかしそれを乗り越えたメーカー、そして先駆者たちのDNAを受け継ぎ新たに信州で生まれた新進気鋭のメーカーがさらなる進化を遂げ、現在に至っています。

 私達の故郷信州で造られたギター、ベースなどの楽器はますます世界中で注目される存在になるでしょう。ギターの聖地、信州で造られた各メーカーの「信州ギター」にご期待ください。

文 ガラクタギター博物館 伊藤 正

Shinsyu Guitar History

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